100人にプレゼンを実行
とにかく
会う人会う人に「10分、時間ください!」と言ってドリプラで発表した『蕎麦打ち@Paris]』の個別
プレゼンをしました
(本当は、保険のプレゼンしないといけないのにね^^;)
もう、いつ頃達成したのかはおぼえていませんが・・・
いつでもプレゼンできるように、声の入っていない画像をYouTubeにアップしてもらいました
(ここはできる人にアップしてもらいました^^;)
プレゼン状態もあります
最近では、むしろこちらをどんどん見ていただいています
(この時は、わかる人に教わりながらアップしました…もうできないかも
くどいようですが↓↓↓
https://www/youtube.com/watch?v=JME4ysOUL8Q
プレゼンをしただけ、にしたくなかった
100人にプレゼンを頑張ったのは、沢山の方に知ってもらう事が大切という事と
ドリプラ当日話した内容を、正直自分でも実現できるかかなり不安だったから
思いっきりのプランを考えてしまったのですが本当に叶えられるのか???
本人が一番そう思っていました
と言うのも、その頃はまだ、息子が大学2年生娘が中学2年生でしたから
しばらくは、何もできないと思っていたからです
でも、その焦りが、せめて個別プレゼンとなったわけです
一応単発的な企画は考えていました
ドリプラ出場の日、会場にいる方にPR出来るものがあった方がいいという事で
パートナー(ドリプラを最初から最後まで一緒に行動し一緒に考えてくれる存在)の弘子さんと考えて
和文化講座をいくつか用意していました
でも、終わってしまえば次はなく、どうしたものかと言う状態でした
そんな時に聞こえた、亡くなった祖母の教え
「なんなとしないな」
いつもグズグズしていた私はよく、こう言われました
伊勢弁です
「何でもいいから、出来ることをさっさとしなさい。」と言うニュアンスです
ものすごく言われました
(ものすごく手がかかったんでしょうね・・・申し訳なかったです^^;)
これ、家系的な事のように思うのですが...ま、貧乏性なんですね
私の母方の祖母はとても働き者でした
早くに祖父が亡くなっておりましたが
女手一つで娘2人息子2人を育て上げ、晩年には自力で家も建てています
思うに、時間の使い方が上手だったと思います
てきぱきテキパキ、ちょこまかチョコマカ動きっぱなしでした
祖母は、1人暮らしで痴呆症になってしまいましたが、叔母家族と同居して
家事をするようになると症状が良くなり最期まで元気でした
最期は、孫たちの洗濯物をタンスにしまおうとしていたらしく
タンスを引いてひっくり返って亡くなっています
老衰でした
幸せだったと思います
叔母には、「死ぬまで働かなあかん」とよく言っていたそうで
本当に最後の最後まで働いていました
(今では、コンプライアンスに引っ掛かりそうですが…^^;)
だから無理なくできることから
そう思って行動したプレゼンでした
10分ですから^^
今日もここまでお読みいただきまして有難うございました
良かったら、また次回もお読みくださいませ