想い
蕎麦と安心な食材による身体にやさしいカフェ
私にアトピーがありますし、息子は私の出産の時にデトックスのようになってしまい、生まれた時は重度のアトピーでした。
自分のよだれで顎がただれ、おむつは布も紙もダメ。
家では裸で過ごすこともありました。
そんな息子のために食事にはとても気を使ってきました。
有機野菜はもちろん、牛乳や卵は牛や鶏の餌にまでこだわったものを使い、
基礎調味料は徹底的に添加物の入っていないものを選んできました。
幼いころは外食のできないような息子でしたが、今では外食も出来るようになり、気を付けてさえいればごく普通に生活出来るようになりました。
それは、やはり食べ物に気を使ってきたからだと思っています。
他にも石鹸は純石けん、衣類は天然素材とこだわってきましたが、何より身体の中に入る食事は一番大切と考えています。
私自身、今でも添加物には敏感で気をつけて食事をとっています。
そうでないとアトピー反応が出るからです。
私自身の体験と経験を生かしたお店にして、アトピーや病気の方が安心して外食のできる空間を楽しんでいただけたらと思います。
『Soba Cafe 日本の暮らし』にこめたもの
私は、高度成長真っ只中の時代に名古屋の栄で生まれ、昔ながらの街並みが残る大須で育ちました。
住所は大須なのに学校は栄小学校と、まさに新旧の時代が融合したような境遇でした。
デパートのおもちゃ売り場で遊んだり、大須観音の境内で金魚すくいをしたりしていました。
近くには、日本舞踊のおけいこ場があり、近所の子達と同じようにお稽古に通っていました。
当時は、小学校にあがると、行儀見習いの為に、一年位は通うのが普通というのが、私の育った地域のことです。
また3時のおやつには、お抹茶をいただく家庭も多く、どのお宅にも茶筅(お抹茶を点てる時に必要な道具)がありました。
そんなことから、名古屋が芸どころと言われるのは、納得のいくところです。
とても幼いころの記憶に鰹節を削ったことや、梅干をつけていた母のことや、祖母のとても美味しいぬか漬け、近所の方に教えていただいたお手玉の作り方など、そのすべてが今の私のお店のコンセプトのベースになっています。
私の育った時代には、私の祖母のように明治生まれの人もまだたくさんいました。
祖母たちから聞いたお話の中には、祖母のお母さんや祖母の祖母さんなど、江戸の空気も感じ取れました。
そんな時代から伝わる日本の暮らしの中には、知恵や工夫が沢山あり、今でも我が家では生かされています。
そんな日本のお母さんたちが、私の理想です。
そして、そんな暮らしがいつまでも続く様にお店の名前にしました。
『Soba Cafe 日本の暮らし』では、古き良き時代の日本の暮らしを少しでも伝えられたらいいと思います。
お友達の家に遊びに行く
当店は、ごく普通の家をお店にしています。
それは、日々の暮らしを大切にしているからです。
まるでお友達の家に遊びに行き、その家のお母さんにご飯を用意してもらった。
そんなイメージを大切にしているからです。
だから、玄関で靴を脱いで本当に「こにちは~」といらしてください。
時には、繕い物や、書き物、やりくりなどもしているかもしれません。
ごく普通に、暮らしています。
お気軽にお立ち寄りください。
そして営業時間内はいつでも蕎麦が食べられ、コーヒーだけでもおくつろぎいただけます。
覚王山のお友達のおうちへどうぞ。
プロフィール
子供の頃に習っていた日本舞踊のしきたりの厳しさや
昔ながらのご近所付き合いのわずらわしさから
日本文化が大っ嫌いな時期があり、海外にばかり目を向け
ファションデザイナーの仕事をしていた経験を持っていますが
海外を知れば知るほど日本の良さ、素晴らしさに気づき、今では日本大好きです。
また、ひょんなことから学んだ蕎麦打ちは、体の小ささを克服するために、ほかの人とは違うコツを見出しました。
その小さな身体で打つ独特な打ち方は、日本文化の特徴が生かされており、流れるような美しさがあり、
日本人だけだなく海外の方々にも『まるで魔法のよう』と評されています。
その『魔法のような』というものは、内藤裕子だからではなく『日本文化』だからなのです。
その動きには必ず意味があり、次の動きへの流れが美しく、独特の世界観があります。
これが合理的なのに必ず美しさが伴う日本文化なのです。
ということをこっそりと伝える活動をしています。