いよいよドリプラに応募
ドリプラに応募したのは、私のメモによると2014年3月23日となっている
応募の前に、応募資料を取り寄せて話したい内容(事業プラン)を記入して送り返しているので
実際に動いたのは、送別会の日となり
2016年の3月1日だと思う(ちょっとあいまいだけど…^^;)
こちらの写真は応募してから発表するまでに使ったノート
テンションが上がるようにと
大好きな車の写真を張っていました
このノートは、まったくの無地ノート、表紙の印刷もないもので
キーマン3人目の弘子さんからのプレゼント
でもすぐに足りなくなり最終的に3冊使いました
テンション上げ続けるのが大事
何事においても、何かをするときには大切なのがテンションを高く維持する事
私が実行しているのは、好きな物の写真や、好きな人からメッセージを直筆でいただく事
直筆メッセージはかなり前からしていて
お守りの様に感じています
人の気持ちが宿るのではないかと・・・
こんな感じで書いていただきました
この支援してくださる方々が心の支えになりました
このメッセージを書いていただいた時には
わくわくしかなくて
思い悩むとは思いませんでした
だから、本当に思うのです
応援したくださる方の存在って、ものすごく大きいものなんだなと
今でも宝物です
そして、その応援の宝物はどんどん増えていくのですが
そのお話は後半のお楽しみに
書き始めから悩む
こんな風に第1回目の支援会から使い始めたのですが
結構、なに書いていいかわからない・・・
はじめの頃はあまり何も書いていませんでした
蕎麦が伝えたいのか、日本文化が伝えたいのかどっち!
みたいに聞かれたりもして…自分では蕎麦は日本文化を伝えるツールの1つで伝えたいことは日本文化という事は一貫していました
でも、それを蕎麦を通してどうやって伝えるのか?
本当に蕎麦だけで行くのか?
蕎麦以外もあるのか?
もう人間不信ならぬ自分不信^^;
私って何やりたいんだろう!?って
はじめは現実逃避だったんだよね
これ、自分に対して言っています
当時の私に
離婚してがむしゃらに仕事してきて順調でしたが
ある事がきっかけで仕事の情熱が薄れ、仕事に疑問を持ち始め、このまま定年まで続けて大丈夫だろうか?
と思うようになっていたんです
おまけに、可愛がっていた老犬を亡くしたばかりで
人生の中でも相当どん底の時期の1つでした
(人生のどん底って、私の場合この時を含めて3回あります。だから今ではもう来ないかなとも思っています)
そんな時に、好きな事して良いって言われたら乗っちゃうじゃないですか?
でもよく考えてみると、そんなんだから
考えはまとまっていなかったんですよね
だって、私の頭をよぎったのは
「パリで着物を着て蕎麦打ちのパフォーマンスをしたらうける!」だけだったんですから!
だから、起業を目指して参加してくる他の人と違い
私一人、夢見る夢子ちゃんでした
満たしていなかったドリプラの6つの条件
1 社旗貢献度が高い事業であること
2 独自の価値・魅力があること
3 事業として発展性があること
4 実現のための準備ができていること
5 発表者の人生観とリンクしていること
6 人々をワクワクさせること
は、ほとんど満たされていなかったんです
自分でもせいぜい 2と5位かなと思いました
勘のいい方はお気づきと思います
そう、事業プランになていなかったんです
今思えば、よく通ったなと思います^^;
今からでいいから事業プラン考えて
そう言われました
そうですよね
登壇するんだから・・・
それからというもの、毎日毎日ドリプラの事業プランの事ばかり考えましたから
仕事のストレスが軽減されて
結果、すごく楽しかったのです
そうはいっても、0からの事業プラン
楽しいながらも頭はパンクしそうでした
キーマン1人目のアドバイス
私の人生を変えたと言ってもいいくらいのキーマン1人目
実は彼はすっとドリプラの支援ボランティアをしていた方なんです
(ちなみにかかわる人は全てボランティアで支援しています)
「パリで蕎麦打ちを軸に、そこから考えを広がるだけ広げたらいいよ」
というアドバイスを受けて考えました~
こうしてやっと進むのですが、この続きはまた次回
今日もお読みいただいてありがとうございました
良ければまた見てくださいませ
よろしくお願い致します