送別会参加も実は危うかった・・・

偶然出会ってしまい、お誘いを受けたので参加した送別会でしたが

当時私は保険会社の営業の仕事をしており

なかなか自分の時間を作るのが難しい状態でした

 

というのも、少しでも営業成績につながるのならと

お客様、会社の業務を最優先していたからです

 

そんなことことから

送別会当日もギリギリまで仕事をしていて

かなり遅れての参加でした

 

会場に着いた時にはもう終わりごろで

皆さんが各自ご本人とどんなつながりだったかとかの思いの丈を順番に話し始めるときでした

 

 

当然1席しか空きはなく・・・

そんな状況ですから

私の席だけむなしく、お料理が残っていました

もう、知り合いがどこにいるのかもわからず

ただただ、案内された場所に座りました

 

概ねこのような時に奇跡って起きるのですね!

その方の活動した各方面の方がそれぞれ大勢参加されていたので

席はほぼほぼチーム分けされていていましたが

ところどころ参加人数の少ない方が間に入る的な感じだったようです

 

空いていた私の席の隣の方は1人での参加でした

そこで、なんとなく挨拶したら

ドリプラの事務局の方で、みんなを代表して、書きよせの色紙を持参されていました

 

ドリプラって何~!?

が私の第一声です

失礼ながら先にご挨拶してくださった方に

自分を名乗る前に聞いてしまいました

 

「自分の叶えたい夢を自由に語る場所です」というようなことを仰ったと思います

少なくとも私にはそう聞こえました

 

「なんて素敵!!!」

そう!この方が2人目のキーマン(女性だけど)

 

 

そして

行き詰っていたんです

保険の仕事に。

 

もう、仕事なんかより断然エネルギーを注ぎたい!と思ってしまったんです

何も考えずに

 

と同時にある事を思い出しました

 

「内藤さんが着物を着てパリで蕎麦打ちをしたら絶対、受けるよ!」という

パリで個展を終えて戻ってきた陶芸家のお客様の一言です

 

 

そしてお開きになるまでにちょっとずつお話を聞いたところ

パートナーと言って申し込みから発表当日まで常にともに行動してくれる人を一人

決めないといけないという難関でした

 

さあ、困った。どうしよう。

どうもボランティアのようだし…そんなに長く時間を取ってくれる人が思い当たらない…

返るころには、急にテンション下がってました…

 

 

でもあっさり解決!

1人1人、挨拶をしていたので

そこに知り合いの女性がいたことが分かっていました

 

だから、お開きと同時に駆け寄り

「ドリプラって知ってる?」と聞いたのです

 

そしたら、予想に反して「知ってる、知ってる!自分の叶えたい夢を話せるのでしょう?」

そして「裕子さん、出るん?(福岡のイントネーションで。是非)そんなら、私、パートナーなるけん」

(方言につき、私の認識不足で言い回しが違ってたら福岡の皆さんすみません)

とあっけなくその場でパートナー確定!!!

 

そして、すぐに事務局担当の方に「出ます!」って言いに行きました

 

 

このパートナーが3人目のキーマン

結局この彼女とは家族ぐるみのお付き合いとなるのです

というか、もう姉妹!

 

バリバリキャリアのとてもしっかりした方なので

私はいつもお姉さんのような存在と思っているのですが

あくまでも妹なのだそうです…年下ですからね^^;

 

そして、くじけてもくじけても

彼女に救われるのでした

 

 

もしかしたらドリプラのおかげかも

ドリプラ当日のお気に入りの1枚

彼女の笑顔、明るさに、本当に救われました

感謝!感謝!です

 

そして今思う事は…

もし、ドリプラが絡んでいなかったらこんなに親しくなれていたかしら…と

 

だからこの日の1晩は

私にとって夢の1晩

いえ、夢の始まりの1晩だったんです

 

 

でも、苦難はこの後から…

 

この続きは、まだ次回!

 

今日もここまでお読みいただきまして有難うございました

また次回もよかったら見てください

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

さあ、夢のお話をしましょう! No.3 一晩でキーマンが3人揃っちゃった

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