蕎麦打ちを始めたばかりの頃は

上手く打つことだけを考えていました

でもただ美味しければいいというものではなかったんですね

実は

ある時から私の蕎麦の打ち方が変わりました

そのきっかけとなったのが

病気なんです

 

 

蕎麦から学んだことをお話しする前に

病気のことに触れておかなくてはいけませんでした・・・

今から14年前になりますか…私は子宮頸がんの手術を受けました

いろんな意味で、運が良かったとも言えるのかもしれませんが

私の主治医の先生は、抗がん剤を使わない主義の先生でした

外科手術のみであとは時間がお薬という先生

 

ある日、体調の回復が悪く体がだるいので

何かお薬はないですか?と尋ねたところ

補中益気湯(ほっちゅうえっきとう)という漢方薬を処方してくれました

 

そんなこんなで日常生活ができるまでに回復するのに3か月

着物が自分で着られるようになるのに半年

完全になったと思えるのに3年かかりました

 

神様からの贈り物の3年間

その3年間の間をこう読んでいます

はじめは、仕事も蕎麦打ちもやめました

体力がなかったからです

だからそれまでにやりたくてもできなかったことをしようと思いました

日本史の本を読み漁り

暦の勉強や短歌づくり

日本画も習いました

 

その時に学んだことが今、活かされていると思います

 

それで蕎麦打ちは、と言うと・・・

手術後1年くらいした頃に友達のすすめで

蕎麦打ち教室を開いたのがきっかけで再開しました

 

この時に気づきました

日本文化について詳しい方だと思っていた私ですが

実は蕎麦のことをあまり知らなかったと・・・

もちろんいつ頃から食べられているかなどの歴史的なことは

ある程度知っていましたが

蕎麦の気持ちというか・・・蕎麦の目線になって考えたことがなかったと思いました

その気づきがあったのは、蕎麦打ち教室の生徒さんからいろんな質問を受けたからでした

 

 

蕎麦の気持ちになって考えてみました

すると、水を加えすぎたときには

まるで洪水にでも合ったかのような感覚になり

 

水が少なすぎると

からからに喉が渇いた気分になりました

 

そして蕎麦が教えてくれたんです

蕎麦打ちの中には

日本文化がたくさん詰まっていると

 

蕎麦打ちの道具は

そのほとんどが江戸時代の頃と変わりがありません

 

中でも蕎麦を包む和紙は

日本の代表選手

 

木をくりぬいて漆を塗ってあるこね鉢や

蕎麦の水分を適度に保護してくれる桐のうち板や駒板などにも

日本人の工芸技術だけでなく

沢山の工夫があります

 

また、蕎麦打ちは大変に腰に負担がかかります

だから、着物を着て打つと、帯がコルセットの役割をしてくれます

 

蕎麦打ちのすべてが

日本人ならではの物

だったんです

蕎麦打ち道具の一つ一つから

日本を再発見し

その再発見から

蕎麦の気持ちになるという新しい打ち方に代わりました

 

蕎麦から教えられたことは一言では言い表すのは難しいですが

あえて言うならば

先を考える

この先にこうなるからこうしておくという事

後ですればいいとはならないのです

後々のことを考えての行動が結局は時間の短縮になるのです

 

魔法のような蕎麦打ち

有難いことに、私の蕎麦打ちをこう言ってくださる方がいらっしゃいます

 

蕎麦はいたみやすい食べ物なので

早く打たないと美味しくなりません

 

そんな目線からも

先を読む日本人の考えが蕎麦打ちに強い影響を与えていますが

 

これは蕎麦だけでもなく

日本文化全般に言えることと思います

 

茶道や華道、書道、弓道、剣道・・・

寿司や天ぷらに至るまで

初めて見にした外国人のほとんどが

その流れるような動きが

まるで魔法のように美しいと感じるようです

 

それは先を考えた行動が合理的なだけではなく

必ず美しさが伴う

からだと思います

私が勝手に考えた日本文化の定義は

『合理的かつ美しさがともなう』です

 

そんなことまでも私は蕎麦打ちから学びました

 

 

 

 

 

 

 

 

蕎麦打ちから学んだこと

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です